詩歌 verse

詠み人知らず   古今集より我が家の池のほとりの藤は、波のように咲きました。山のほととぎすはいつここで鳴くことでしょう。『元永本古今集』では「柿本人麻呂」作と伝わります。箱藤商店さんの桐製の短冊。
凡河内躬恒  歌春は今日だけとは思わないときでさえ、立ち去ることができる花の蔭でしょうか。ましてや春の終わりの今日、花蔭は立ち去りがたいものです。初句を「今日のみと」とするものもあります。箱藤商店さんの桐製の短冊。
良岑宗貞 歌花の色は霞に閉じ込められて見えなくても、せめて香りだけでも盗み出しておくれよ。春の山風よ。良岑宗貞は六歌仙の1人、僧正遍照の俗名。箱藤商店さんの桐製の短冊。
紀貫之 歌春霞はどうして花を隠すのでしょう。散る間のほんの僅かなときでさえ、見ようと思うものなのに。升色紙では「清原深養父」作としています。
余、偶たま、性強記にして、飯罷(お)はる毎に歸来堂に坐して、茶を煮て堆積せる書史を指して、某事は某書の某巻、第幾頁(けつ)の第幾行に在り、と言ひ、中否を以て勝負を角(あらそ)ひ、茶を飲むの先後と成す。中れば即ち杯を挙げて大笑し、茶傾きて懐中に覆り、反って飲むを得ずして起つに至る。是の郷に老ゆるに甘心し、憂患貧窮の處(を)ると雖も、志、屈せず。李清照の『金石録後序』  金の南侵(靖康の変)に巻き込まれ多くの財産をなくした頃の自身の記録を、冷静に著述した「後序」ですが、この一節には夫妻の幸せだった頃が感じられます。作品の背景(マット)には紬を使っています。
両堤の楊柳、夾みて行を成し、茅亭を古野塘に架し得たり。石に倚りて書を読めば衣袂緑に。直ちに疑ふ、身は畫の中央に在るかと。清の陳壽璐の「消夏」詞紙にはグラスファイバーが漉き込まれています。隷書の重ね書きで影を表現しました。
三更の燈火、五更の鶏。正に是、男兒の読書の時。黒髪は知らず、勤学の早きを。白首、方(まさ)に悔ゆ。読書の遅きを。午前零時の燈火と午前四時の鶏鳴。これこそが男子の読書の時。黒髪の頃は勉学に勤めることに気づかず、白髪になって読書の遅いことを後悔しています。唐代の政治家、書家 顔真卿(字は清臣) 勧学詩男子に限定した内容で、作品化に悩みましたが、今回のテーマ展示にぜひ含めたく、揮毫しました。白髪になって… 実感。
許す莫れ、杯の深く琥珀の濃きを。未だ沈酔すること成さずして意は先づ融けたり。疎き鐘、已に応えしは晩来の風。深い杯と濃い酒はそんなに多くはいりません。酔う前に心が先ずうっとりしてきます。夕方から吹き出した風が遠くの鐘声を運んできます。李清照「浣溪沙」の前半部分を作品化しています。作品背景には桜の柾目を使いました。
燭を背にして共に憐れむ深夜の月。花を踏みては同じく惜しむ少年の春。春の夜、燈火を背にして深夜の月を楽しもう。ある時は散り敷かれた花びらを踏んで若い時が瞬く間に過ぎていくのを共に惜しもうではないか。白楽天「春中、盧四周諒と華陽館に同居す」詩。
自ら其の心を静かにして、物に求むる無く、精神を長ぜしむ。みずからの心を静かにして寿命を延ばし、物に求めることなく精神を成長させよう。白居易(字は楽天) 「不出門詩」の一節。この詩の背景に「大空に群れたる田鶴のさしながら 思ふこころのありえなるかな」という歌を散らしてあります。
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